療養の中で導かれた信念、生きる意味「他者を想う」

うつ病と診断され、普段と違う環境、本、友人からの言葉などを基に考え、行きついた信念とは。
私はうつ病と診断されてから、私は他県からの下宿生ですので、
実家に帰省し、療養を始めました。
そんな中でも、特別に勉強をさせていただけているのは、
本当に感謝しかなく、大学の教授陣には、感謝しかありません。
療養の中で出会った、「本」という存在。
私は自宅に帰ってから、ます最初の1週間は、何もしませんでした。
それほどにひどい状態であったと言えると思います。
そして1週間たってから、私は学校から与えられた課題と、
「本」を読むようになりました。
これが、自分にとって相当大きなものとなりつつあります。
「本」を読む中で。
私は様々な本を一気に購入し、一気に読破しました。
これは今も続いています。
とても残念なことに、最近は課題が忙しいため、
たくさん読書の時間に費やすことはもうできなくなりましたが、
今でも本を読むことを続けています。
でもなぜ、本を大切にするようになったのでしょうか。
自分にとっての「本」の価値
自分が療養の中で、本を読み始めた時、
その時はもう1日に1冊のペースで読破していました。
今もそうですが、とてつもない出費で大変です。(笑)
自分が読んだ具体的な本の名前や内容は、いずれ他の記事で。
ちなみに私は、今のところ読んだのは、
特に、「自己啓発本」や、「教育に関する本」、「学校の授業のための本」です。
そしてこれから、小説にも手を出してみようと思っています。
そしてこれが本題ですが、私が、本を読んでいるとき、あることに気づいたのです。
「本を読んでいるときは、自分は落ち着けている。」ということです。
これが、今まで受験のためにしか文章を読んでこなかった自分にとって、
そして自分の人生におけるとてつもなく大きなインパクトとなりました。
そして私は、「本」と、私の今までの生き方を振り返って、
ある信念というのを抱くことができました。
自分が考え抜いた、信念、生きる意味
実は今この文章を書いている時、
私はあることが原因で過去最悪レベルでうつ病が悪化しています。
実はこの文章を書いている日のお昼、私はめまいで倒れてしまっています。
そんななかでも、私はこの病気療養中でたどり着いた、
ある信念、そして、私の生きる意味をお伝えしたいのです。
それが、「せめて他の人たちには、様々な幸せを感じて、生きてもらいたい」
ということです。これは、実は、トップページ1番上の、
「まずはこれをお読みください」にも記載しております。
なぜこれが、mamiにとって、信念、そして私の生きる意味になったのか。
それは、様々な本を読み、思索を深めた上で、
本当に窮地に陥り、苦しんで死んでしまいそうな自分にとって、
1番大切だと思ったことは、自身ではなく、「他者を想うこと」
という考えに至ったのです。
私のうつ病の場合、とてつもない自責感、極端な自信の無さ、
というのが、とても特徴的です。
自信の無さというのは、頑張って自信をつけていかなければなりません。
それは本からも、「大切な友人」からも、教わりました。
ただそれはそれとして、このような経験をし、様々な本を読み思索にふけり、
さらには友人からのありがたいお言葉からも考えた結果、
やはり私は、「せめて他の人たちには、様々な幸せを感じて、生きてもらいたい」
につながりました。これは、おそらく当分変わることはないでしょう。
むしろ、生涯にわたる私の生きる意味になるかもしれません。
では、具体的に、「せめて他の人たちには、様々な幸せを感じて、生きてもらいたい」
とは、なんなのでしょうか。これを、私は伝えたい。
「せめて他の人たちには、様々な幸せを感じて、生きてもらいたい」とは。
この文章は、こう言い換えることができます。
「私が感じたような苦しみを、他のみんなにはできるだけ味わうことのないように、私は人を助ける。」
ということです。だから私は、誰かのためになるかもしれないという気持ちもあり、
ブログを始めましたし、圧倒的に以前より、友人たちに対する接し方に気を遣うようになりました。
これは悪い意味での「気を遣う」ではなく、あくまで、「他者を想う」です。
そう、私の信念は、すべて「他者を想う」に集約できると思います。
なぜこうなるのか。それは、ひとえに、
- 自分が経験した苦しみを、みんなが味わうようなことはどうしても避けたい。
- 今苦しんでいる人を、なんとしても、少しでも助けたい。
という2点に尽きます。
「自分が経験した苦しみを、みんなが味わうようなことはどうしても避けたい」に込める「想い」
前者について、「お前より辛い思いをしている奴なんていくらでもいる」
と思った方がいましたら、全くその通りです。
私より苦しい思いをされている方はたくさんいるはずです。
ただ、自分の苦しみが他の方と比べて小さなものだったとしても、
その自分の事例が他の人の場合、さらに苦しんでしまう人がいる可能性は否定できないはずです。
だから私は、「自分が経験した苦しみを、みんなが味わうようなことはどうしても避けたい。」
と申しました。これは、自分のすべき役割です。
「今苦しんでいる人を、なんとしても、少しでも助けたい」に込める「想い」
これは、ひとえに、自分が苦しんだ時に、みんなが助けてくれたからです。
残念なことに、詳しくはお話ができませんが、うつ病に際して、
逆に私の敵になった方々もいます。とても残念なことに、その方々からは、
明確に、「死ね」という意図を伴った行動を受けました。今も受けています。
だから、私は「自分が考え抜いた、信念、生きる意味」の章で述べた通り、
過去最悪レベルでうつ病が悪化しています。
ですがそれでも、私に寄り添い、助けてくれる方々もいました。
ここにて、私を助けようとしてくれた方々には、本当に感謝しかありません。
本当に、ありがとうございます。
それは家族、友人、学校の先生方、様々です。
私がしなけれなならないのは、その、「恩返しをしなければならない。」ということです。
これは、私に課された、使命であると考えています。
そして私は教員を目指している身です。(プロフィール参照)
教育者は、なにより、苦しんでいる人を、なんとしても、少しでも助けなければなりません。
私は、この、「今苦しんでいる人を、なんとしても、少しでも助けたい」というのは、
自分がこのような経験をし、そしてそこから回復するために受けた、
様々な方々からの「恩を想う」ために、
必ず今後、私がしなければならない使命なのです。
「他者を想う」
以上述べたことが、「せめて他の人たちには、様々な幸せを感じて、生きてもらいたい」、
言い換えれば、「他者を想う」ということです。
これが、私が様々なことを基にして考え抜いた結果です。
この信念のために、私はできる限り生きていき、
そしてこれが、私にとって、生きる意味なのです。[2024/7/9]