Diary of a college student ~mami~
病気療養中の大学生が綴る「想い」
随筆

蓮の花

mami

絶望と不安の中で

私は病床の中で、少し無理をしてでも、大学の授業を受ける道を選択した。

まずは、改めて学校の先生方には、感謝を申し上げたい。

私にとって、おそらくその当時、すなわち6月,7月の時の私は、

「勉強」しか、心の拠りどころがなかったのだと思う。

この記事を書いている今は、やはり“さみしさ”は多少あれど、

1人でも、「読書」なり、「曲を聴く」だとか、「仕事に行く」などの、

“さみしさ”を紛らわせる方法を見つけて、生活できるようになったが、

その当時は、「もう、何かしていなければ、、、!」、という思いに駆られていたのだと思う。

本気で取り組んだ科目たち

私は、病床で、床にふせながらも授業動画を見て、勉強していたころがあった。

おそらく脳の物質「セロトニン」の分泌量は、人の半分以下しか出ておらず、

胃腸も弱り果てて、当時の2024年7月は、おかゆかうどんしか食べていなかった。

それでも私は、「勉強」だけ、文字通り命がけで行ったのである。

今思えば、病気の回復を遅らせた要因であると言えるが、

この選択に、私は後悔はない。

なぜか、どうしてもその時は、「勉強」をなんとしてもやり続けたかったのである。

そして8月上旬、他の人より少し遅れて、すべての授業をやりぬいた。

まずそのこと自体が、私にとって、この20年間でとても大きなものとなったのは間違いがない。

成績発表の不安

しかし、今度は別の不安が頭を巡らすようになってきてしまった、「成績発表」である。

私は、自分で言うのもおこがましいし、

特別に帰省先から授業を受けさせてくださった、先生方には失礼かもしれないが、

私は、死に物狂いで「勉強」をし、全力で取り組んできたつもりであった。

また、私は社会科の教員免許を取るために、単位を落とすことは、

私の夢である、「国語と社会の先生になる」という夢が、

相当に厳しくなることを意味していたため、

授業をやり切ったことよりも、日が経つにつれて、

どんどんどんどん、「成績発表」に対する不安が募っていった。

新潟「白山神社」の“蓮”

私はその時、新潟にいたわけだが、「なんとか良い成績であるように、、。」と、

神仏に願うように、私は8月の中旬に、新潟の総鎮守である「白山神社」にお参りに行った。

その時、私は知らなかったのだが、「蓮」のフェアが行われていたのである。

私はその時初めて、「蓮」に込められた花言葉を知ることになった。

「蓮」は、仏教的に花言葉として、

「苦しみを乗り越えた先には、必ず幸せが訪れる。」、といった花言葉があるそうだ。

私は、それに惹かれ、期間限定の蓮のお守りと、

普段から販売されている学業お守りを、神社に代金を納めて、受け取った。

そしてその後、隣接する白山公園の蓮の花畑を見に行った。

しかしその時はまだ、ほとんどが花を咲かせていなかった。

その時私は、「まだ苦しみの途中なのかもしれない。」と思った。

私は、その後もひたすらに蓮のお守りを肌身離さず持ち歩いた。

上野「不忍池」の蓮

私はすべての授業を終えた8月上旬ごろには、相当胃腸の方は、

まぁまぁ少しは回復していたので、8月の中旬に、本当に数日だけ、都心の方に一時的に帰った。

その時私は、合間をぬって、御徒町の湯島天神に参内した。

それは、成績発表の“前日”であった。

その帰り、私は上野駅に行く道中、「不忍池」に立ち寄った。

私は知識不足にて、この「不忍池」のことをよく知らなかった。

しかし、これは古く江戸時代から続く、

由緒ある「蓮の池」であることを、そのとき始めて知った。

しかしその時、「不忍池」の蓮の花は、ほぼすべて枯れ散ってしまっていた。

それを見た時私は、「あぁ、ダメなのかもしれない。」と思った。

しかし広い池の中に1つだけ、唯一、花が咲き残っている“蓮”を見つけた。

私は、その蓮に手を合わせ、その後はひたすらに成績発表を待った。

努力は、必ず花開く

上野「不忍池」での蓮の花を見た次の日が、私の成績発表の日であった。

大げさに思うかもしれないが、私は様々なお守りと、お札を基に祭壇を作り、

その前に、“刃物”を置き、時を待った。

今思えば、もし私がダメだった時のことを考えると、怖いものである、

しかし、うつ病の患者というのはそういうものなのである。

「死んでも構わない。」

それが、うつ病患者独特の信条だったりするのである。

以前、「死ぬって言ってる奴はどうせ死なない。」といっている友人がいた。

いや、その人は、今となっては私からしたら友人ではないのかもしれない。

重度のうつ病を経験した人間からすれば、このような言葉は、

本当に人を苦しめかねない言葉であるとともに、見下されているように感じる。

本人にはその感覚はないのだろうけれど、“無意識に”そういう感覚があるのだと思う。

本当に苦しみを味わった人間は、そういった言葉は冗談でも言わない。

私はこの半年間で、そう思った。

運命の成績発表。

スマートフォンで、「成績を参照する」というボタンを押すときは、

私の今までの人生の中で、どれだけ怖かったものか。

その時の心境は、今でも忘れない、

言葉で表現しにくい、複雑な感情であった。

ボタンを押したとき、

目の前には、すべての授業を無事クリアしているという画面があった。

私はその時真っ先に、“蓮”のお守りに手を合わせ、

深い深い祈りを捧げ、感謝の気持ちを込めた。

私はその時久しぶりに、“嬉しい”という感情が芽生えた。

本当に久しぶりだった。

この時の嬉しさは、私は一生忘れない。

おそらく、私の今後は、苦難も待ち受けているのだろう。

しかし今回のこの体験は、

“蓮”に込められた、「苦しみを乗り越えた先には、必ず幸せが訪れる。」という、

美しい花言葉を基に、我が人生の中でも至上の喜びとなったとともに、

今後の人生においても、「乗り越えていけるかもしれない。」という、

ちょっとした勇気を私に与えたくれたと感じている。

「努力は、必ず花開く。」

私はこれを、これからも信じて生きていこうと思う。

About me
mami
mami
大学生(国語科/社会科教育)
読書家
音楽研究家
国立大学教育学部に所属する大学生。
現在病気療養中で、実家で活動中。
国語と社会を繋げる教育を目指す!
元々音大志望のアマチュアフルート奏者であり、
作曲活動もしていたが、今は距離を置き、
楽曲分析を主な活動にしている。
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